団結のページ

団結の決意

 

あの震災から早くも2年半が過ぎました。当初は数日のつもりだった自宅からの避難がまさかこれほどまで長く続くとは予想もしておりませんでした。チェルノブイリに比べても規模の小さい事故と話してきた国と報道機関の言葉を信じ、あと数日だろうと思いながら、、、。

 

二年半の歳月は既に私たちの故郷を朽ち果てさせ、コミュニティは崩壊を余儀なくされ、一人一人が空虚な世界を放射能の身体への影響に不安のみを感じながら、自らの身をも朽ち果てることを唯待つのみの生活。あの日から心から笑うことは無くなりました。

 

それに対して住めない故郷に私達を戻すため効果も乏しく見通しも立たない除染作業に未だ血税を投じる国。私達の生活再建を犠牲にして 一体あと何百兆円を失われた私達の故郷の為にかけてくれるのでしょうか?

 

仮に強制的に帰したとして、既に住めない家に帰っても、家を立て替える原資さえ食い潰してしまったものに対してどうしろと言うのか。これを棄民以外のどの様な言葉で表すのか?

 

これまで少子化を危惧して様々な行政サービスを投入してきたのはなんのためだったのでしょうか?その子供たちに地産地消と称して学校給食で被爆を強要する被災地。それを黙認する国の姿勢は如何なものなのでしょうか?

 

あと何人私の回りから自殺者が出るのだろう。そして、あと何人の子供たちが癌にさせられた挙げ句、原発事故との因果関係を否定され心身共に傷つけられるのだろう。

そして何人の母親、父親が子どもを被爆させた事を悔いながら、わが子の成長を見続けられぬ悲しみをもって倒れていくのだろう。そして、どれだけ違った人類が次の世代に出てくるのだろう。私の孫には一体何本指がついて産まれてくるのだろう。チェルノブイリの教訓どころか広島、長崎での経験でさえ忘れてしまい、活かせない国。私達は一体何を以て日本人としての誇りを持てるのでしょうか。

 

ふるさとを亡くし、自治体から遠く離れ、仲間は散会し、守るべきモノを全て失った。そんな私達に本当の意味の謝罪も無い。在るのは唯、表面的な言葉のみ。

全国民に責任を転化し、未だに誰も逮捕されない。田舎ではこのような話をすること自体がタブーとされるような有り様。

 

今こそ、このような現状の打破のため、死んでいった同胞のため、未来の子供たちの為に、我々は団結せねばならないと決意する所存です。